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		<title>栗城史多 - 変更履歴</title>
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		<title>Rainbow7: 新規作成</title>
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				<updated>2012-12-27T13:02:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;新規作成&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;'''栗城 史多'''（くりき のぶかず、[[1982年]][[6月9日]] - ）は、[[日本]]の[[登山家]]&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2017859/full/ 栗城史多氏、エベレスト登頂断念　4度目山頂アタックも無念の下山（オリコンスタイル）]&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[起業家]]。株式会社たお代表取締役。[[北海道]][[瀬棚郡]][[今金町]]出身&amp;lt;ref name=&amp;quot;zanon&amp;quot;&amp;gt;[[ザ・ノンフィクション]]・『山のバカヤロウ2登山家　栗城史多』、[[フジテレビジョン]]、2012年5月6日放送&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[北海道檜山北高等学校]]&amp;lt;ref&amp;gt;http://www.econakoto.net/kuriki/article/186&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[札幌国際大学]]人文社会学部社会学科卒業&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.siu.ac.jp/06shushoku/old/2141.html 卒業生（栗城史多）のインタビュー記事・2007年]　札幌国際大学、2011年3月10日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。[[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]と2011年9月から業務提携&amp;lt;ref&amp;gt;[http://career.oricon.co.jp/news/2001095/full/ 登山家・栗城史多氏が吉本と業務提携　3度目のエベレスト遠征へ 2011年08月25日]　オリコンランキング、2012年1月11日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://yoshimotonews.laff.jp/news/2011/08/post-a4de.html エベレスト無酸素・単独登頂に挑戦する登山家・栗城史多さんがよしもとと業務提携!! 2011年8月25日]　よしもとニュースセンター、2012年1月11日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
「冒険の共有」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回[[ヒマラヤ山脈|ヒマラヤ]]地域で高所登山を行っている。[[エベレスト]]には単独無酸素登頂と頂上からの[[インターネット]]生中継&amp;lt;ref&amp;gt;テレビ放送における世界初の[[エベレスト]]山頂衛星生中継は1988年5月5日に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[チョモランマ]]登山調査隊によって行なわれた。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
を目指し、2009年9月[[チベット]]側、2010年9月[[ネパール]]側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退&amp;lt;ref&amp;gt;登山用語で、登頂をあきらめて引き返すこと。&amp;lt;/ref&amp;gt;。2011年8〜10月に前年と同じネパール側から3度目の挑戦をしたがサウスコル7900mに達せず敗退。2012年10月に西稜ルートから4度目の挑戦も強風により敗退。&lt;br /&gt;
== 経歴 ==&lt;br /&gt;
「元ニート」 「元引きこもり」 を自称しているが&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kurikiyama.jp/profile_2011.html 栗城史多公式サイト　プロフィール] 2011年8月11日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;、これはあくまでキャラクター作りのための設定であり、実際にはそのどちらでもない&amp;lt;ref&amp;gt;著書「一歩を越える勇気」 実際には高校卒業後に1年間のフリーター生活をしている。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref name=&amp;quot;AERA&amp;quot;&amp;gt;[http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=8392 AERA2007年10月1日増大号] [[朝日新聞]]、2011年1月27日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。「元ニート」を名乗るようになったきっかけは、栗城の全国デビューとなる企画に、[[電波少年]]で知られる[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]プロデューサーの[[土屋敏男]]が『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』というタイトルをつけたためである&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.faustx.jp/interview/interview016.php 栗城史多のインタビュー記事] ファウストA.G.、2011年8月11日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[1982年]]（[[昭和]]57年）[[6月9日]] - [[北海道]][[瀬棚郡]][[今金町]]に生まれる。&lt;br /&gt;
* [[2002年]]（平成14年）年末 - [[中山峠]]から[[小樽市]]の[[銭函]]まで、1週間程度の雪山（[[標高]]1,000[[メートル|m]]前後）の年越し縦走を行った。&lt;br /&gt;
* [[2004年]]（平成16年）[[5月21日]] - [[デナリ|マッキンリー]]登頂に向けて日本から出発。初の[[海外旅行]]。&lt;br /&gt;
** [[6月12日]]17時10分 - マッキンリー（[[北アメリカ|北米]][[最高峰]] 標高6,194m）登頂。&lt;br /&gt;
* [[2005年]]（平成17年）1月 - [[アコンカグア]]（[[南アメリカ|南米]]最高峰 6,959m）登頂。&lt;br /&gt;
** 6月 - [[エルブルース]]（[[ヨーロッパ]]最高峰 5,642m）登頂。&lt;br /&gt;
** 10月 - [[キリマンジャロ]]（[[アフリカ]]最高峰 5,895m）登頂。&lt;br /&gt;
* [[2006年]]（平成18年）10月 - [[カルステンツ・ピラミッド]]（[[オセアニア]]最高峰 4,884m）登頂。&lt;br /&gt;
* [[2007年]]（平成19年）5月 - [[チョ・オユー]]（世界第6位高峰 8,201m）登頂。7,700m地点からスキー滑降した。&lt;br /&gt;
** 12月 - [[ビンソンマシフ]]（[[南極大陸]]最高峰 4,892m）登頂。&lt;br /&gt;
* [[2008年]]（平成20年）10月 - [[マナスル]]（世界第7位高峰 8,163m）に「無酸素」「単独」登頂したと主張するが、[[エリザベス・ホーリー|ヒマラヤン・データベース]]、[[日本山岳会]]の双方から登頂を認定されていない&amp;lt;ref name=&amp;quot;Hawley1&amp;quot;&amp;gt;[http://www.himalayandatabase.com/2008%20Season%20Lists/2008%20Autumn%20A9.html Autumn 2008 Manaslu continued]　HimarayanDatabase　** indicates fore-summit only[http://www.himalayandatabase.com/2008%20Season%20Lists/2008%20Autumn%20A7.html]&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://jac.or.jp/info/shiryou/8000japan08feb.pdf Japanese 8000m Climbers List(pdf文書)] 日本山岳会公式サイトからのリンクは[http://jac.or.jp/info/shiryou/sibuhakoubutu2.html]の右欄の「8000ｍ峰登頂者リスト」。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2009年]]（平成21年）5月 - [[ダウラギリ]]（世界第8位高峰 8,167m）登頂。インターネット生中継を行う。&lt;br /&gt;
** 9月 - [[チョモランマ]]・北稜北壁メスナールート（世界最高峰 8,848m）登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退。&lt;br /&gt;
* [[2010年]]（平成22年）5月 - [[アンナプルナ]]（世界第10位高峰 8,091m）登頂を目指したが、山頂400m手前で敗退。&lt;br /&gt;
** 8月末から - 二度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが、C4サウスコル7,900mに達することができず7,750mで敗退。この挑戦では栗城隊のシェルパが1人死亡している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://megalodon.jp/2011-0908-2113-15/ameblo.jp/kurikiyama/entry-10630611925.html 栗城史多オフィシャルブログ 2010-08-26] （ウェブ魚拓）　2012年5月14日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 12月 -登山とインターネットを結んだ功績が評価され、ファウスト大賞を受賞&amp;lt;ref name=&amp;quot;zanon&amp;quot;/&amp;gt; 。&lt;br /&gt;
* [[2011年]]（平成23年）5月 - [[シシャパンマ]]（世界第14位高峰 8,013m）の登頂を目指したが体調不良により敗退。南西壁から7600m地点まで&amp;lt;ref&amp;gt;[http://everest.kurikiyama.jp/profile/ 「EVEREST SHARE」プロフィール] &amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
** 8月末から - 三度目の挑戦となるエベレスト・南東稜ノーマルルート登頂を目指したが敗退。7800m地点で食料などを埋め、一度ベースキャンプに戻り体調を整えて頂上アタックを目指したが、埋めておいた食料を[[キバシガラス]]に荒らされたため登頂を断念したと発表した&amp;lt;ref name=&amp;quot;zanon&amp;quot;/&amp;gt;。このアタック開始の際には事前に予定していたC3でのキャンプ設営、馴化の為の宿泊をしておらず、大きくルートを外れた雪の斜面に荷物をデポしていた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://everest.kurikiyama.jp/news/archives/1076.html 公式サイト　News]&amp;lt;/ref&amp;gt;。この挑戦では同行スタッフであるフリーカメラマンの木野広明が死亡している&amp;lt;ref name=&amp;quot;ori&amp;quot;&amp;gt;[http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/2001878/full/ エベレスト登頂控える登山家・栗城史多さんの同行カメラマンが死亡]&amp;lt;/ref&amp;gt;。死亡原因はくも膜下出血であった&amp;lt;ref name=&amp;quot;zanon&amp;quot;/&amp;gt;。&lt;br /&gt;
* [[2012年]]（平成24年）5月 - シシャパンマ登頂を目指したが、7000m地点到達前に進行が不可能になり敗退。下山中に滑落して負傷し、救助に向かったシェルパと共に下山したと発表した&amp;lt;ref&amp;gt;[http://kurikiyama.jp/news/topics_ensei/902.html シシャパンマ南西壁遠征情報（本人の公式サイト）]&amp;lt;/ref&amp;gt; &amp;lt;ref&amp;gt;[http://kurikiyama.jp/news/topics_ensei/903.html 無事に下山いたしました（本人の公式サイト）]&amp;lt;/ref&amp;gt;。なお、序盤の荷上げの際にガレ場で転倒し膝を故障&amp;lt;ref&amp;gt;[https://twitter.com/kurikiyama/status/202757253328150528 栗城史多5月16日のツイート]&amp;lt;/ref&amp;gt;、一旦アタックステージに入りながらロープを取りにベースキャンプに戻り&amp;lt;ref&amp;gt;[https://twitter.com/kurikiyama/status/207345486733127681 栗城史多5月28日のツイート]&amp;lt;/ref&amp;gt;数日浪費するなどの失態を連発。スケジュールが逼迫する中で6000m以上の高度で宿泊する高地順応作業も行わず、当初予定していたC1（6700m地点）、C2（7500m地点）などの中間キャンプの設営も行わないまま深夜の最終アタックに出ていた&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.facebook.com/kurikiyama/app_302523066490833 栗城史多Facebookシシャパンマ南西壁遠征情報]&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
**8月末から - 四度目の挑戦となるエベレスト・西稜ルートで登頂を目指したが敗退。C2（6300m）地点で人差し指が凍傷に罹患していたにも拘らず登山を続行。当初予定していた地点より500m低い7500m地点のC4から最終アタックに出たものの強風のため撤退。凍傷が悪化しC4からの下山が不可能になったため救助を要請し、シェルパによりC2まで下ろされた後ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された。&amp;lt;ref&amp;gt;『ノーリミット 終わらない挑戦』（NHK）2012年12月23日放送&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登山活動について ==&lt;br /&gt;
=== 「単独無酸素」という表現について ===&lt;br /&gt;
栗城はその登山活動において「日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している」との文言をマスコミ向けに使用している&amp;lt;ref name=&amp;quot;AERA&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
世界[[七大陸最高峰]]において、通常酸素ボンベを使用する必要があるとされるのは標高8000メートルを越える[[エベレスト]]のみであり、その他六大陸の最高峰においては元々、酸素ボンベを必要としていない&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.patagonia-guide.com/acn/acn-info/acn-alt.html 高山病と高所順化] パタゴニア（南米トレッキング情報）、2011年1月7日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
2012年10月現在、栗城はエベレストへの登頂に成功していない。&lt;br /&gt;
なお、日本人の無酸素でのエベレスト登頂は1983年の[[川村晴一]]らによって達成されて以降、2010年までに7名が成功している他、世界的には無酸素登頂が価値あるものとして記録された1978年から1995年までに延べ70名の登山者によって達成されている（下山中の死亡者を含む）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
また、登山における「単独登頂」については明確な定義が無く、登山者間の相互評価に任されている現状にあるが、過去の著名な登山家たちは、単独登頂の評価を得るため自らの行動に厳密なルールを課している。&lt;br /&gt;
1995年5月13日にエベレスト無酸素・単独登頂に成功したイギリス人女性の[[アリソン・ハーグリーブス]]（[[:en:Alison Hargreaves|Alison Hargreaves]]）は、固定ロープを使用しないことは勿論、他の隊から勧められた紅茶すら断っている。&lt;br /&gt;
栗城は自らを単独登山者（ソロ・[[アルピニスト]]と呼称）としているが、エベレスト以外に成功した他の六大陸最高峰登頂において、他者の設置した固定ロープを使用している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.youtube.com/watch?v=_MTo0V73EQ0 カルステンツ・ピラミッド動画] 栗城史多Youtube公式アカウント、2012年5月14日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;他、プロフィール記載の実績の殆どが他の登山客で溢れ必然的に先行者が雪を踏み固めたトレースを辿ることとなるハイシーズンのノーマルルートで為されたものである（[[デナリ|マッキンリー]]での[[植村直己]]の遭難は条件が大きく異なる厳冬期である）。&lt;br /&gt;
更に栗城は、登山に際して現地人ガイド添付が義務付けられている[[キリマンジャロ]]においても単独登頂を達成した、としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
登山の専門誌『[[山と渓谷]]』は、2012年3月号で栗城の「単独無酸素」を「その言葉に値しない」と否定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2012年5月に日本人初となる8000メートル級全14座に登頂した[[竹内洋岳]]は、2008年に自らの公式ブログにて、「単独無酸素」の表現を用いながら栗城が紹介されているクライミングウェアの広告に対し、「彼（栗城）自身の目標に向かう姿は素晴らしい」としながらも、「なぜ彼は『単独』『無酸素』という言葉をこうも安易に使ってしまうのだろうか？（中略）恐らく、この栗城さん自身は『単独』とか『無酸素』とかの意味をそこまで深くは考えていなかったのかもね。（中略）たぶん、彼の周りにいる大人がなにか『美味しい都合』で、いろいろ脚色したんじゃないかな？ よくわからない一般の人々を、だまそうとしてるみたいな広告…」と評している&amp;lt;ref&amp;gt;[http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/2008/01/post-7825.html ガッカリ…]、竹内洋岳 公式サイト 2008年1月10日&amp;lt;/ref&amp;gt;。（以下参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 単独について （アルパインスタイルと極地法） ===&lt;br /&gt;
一般的に登山界で言われる「単独登頂」とは、登山の行程のほとんどを一人で行い、ベースキャンプより上で他者からのサポートを一切受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等も使わずに登ること（[[アルパインスタイル]]）を指す。栗城のいう「単独」登頂とはベースキャンプから自らの荷物をすべて背負い登頂することのみを指すため&amp;lt;ref&amp;gt;出典は栗城のブログ及び公開されている動画&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;!--具体的な詳細のリンク先の提示が望ましい--&amp;gt;、[[アルピニズム]]の見地から評価される「単独登頂」とは異なる。栗城は他の登山隊が設置した固定ロープ等を使って登頂している。また[[ヒマラヤ]]登山の際には、'''栗城隊'''と呼ぶ大規模なサポート隊を編成し&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.faust-ag.jp/individual/faust-agawards2009.php#!/interview/interview023.php 栗城史多のインタビュー記事] ファウストA.G.、2011年1月8日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;、[[シェルパ]]が固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営を行い、無線により気象情報や行動計画などのサポートを受けて登っている（[[極地法]]と呼ばれる）。なお栗城はキリマンジャロやエベレストなどで過去に数回、自力下山が困難になりシェルパやポーターに救助されている&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/kikaku/058/1.htm 読売新聞 北海道発 2005年10月14日] 2005年キリマンジャロ、2011年6月23日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265565758.html 栗城史多オフィシャルブログ 2009-05-21][http://megalodon.jp/2011-0618-1945-04/ameblo.jp/kurikiyama/entry-10265565758.html (魚拓)] 2009年ダウラギリ、2011年6月23日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://ameblo.jp/kurikiyama/day-20100520.html 栗城史多オフィシャルブログ 2010-05-20][http://megalodon.jp/2011-0604-0147-54/ameblo.jp/kurikiyama/day-20100520.html (魚拓)]  2009年チョモランマ、2010年アンナプルナ、2011年6月23日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/pages/25.html 2010年エベレストまとめ] 2010年エベレスト、2011年6月23日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 無酸素について ===&lt;br /&gt;
「酸素ボンベ」を使用しないで登ることを、高所登山の世界では単に「無酸素」と呼ぶ&amp;lt;ref&amp;gt;[[8000メートル峰|8,000m級]]での無酸素登頂は危険で、山頂付近の高所は[[デスゾーン]]と呼ばれている。&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
栗城の登山では、1つ下のキャンプにシェルパのサポート隊が酸素ボンベを用意して待機しており、いざというときは酸素ボンベを持って救助に行ける体制になっている。栗城は2010年のエベレストで7900mのサウスコルに到達できず撤退。下山途中にインターネットによる生中継で「前日に体調が悪かったため、シェルパがC3に上げた酸素を吸った」と公言&amp;lt;ref name=&amp;quot;oxygen&amp;quot;&amp;gt;[http://www.ustream.tv/recorded/9943558 生中継された動画] 栗城史多USTREAM公式アカウント、発言は1:14:20から。酸素ボンベ使用は1:17:00頃から。2011年6月7日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;。生中継中にも酸素ボンベを使用した&amp;lt;ref name=&amp;quot;oxygen&amp;quot;&amp;gt;&amp;lt;/ref&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、一般的に登山界で使われる意味での「単独無酸素」では、[[ラインホルト・メスナー]]などが知られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 登山以外の活動について ==&lt;br /&gt;
=== 「冒険の共有」を実現するための活動 ===&lt;br /&gt;
栗城の著書『一歩を越える勇気』で、「わらしべ登山家は毎日、各界で活躍する人たちに会いに行っている。」と記している。わらしべとは[[わらしべ長者]]を意味する。通常、エベレスト登頂のためには、入山料、渡航費用、[[シェルパ]]を含むスタッフなどの多くの費用が必要となる。このため、金なし・コネなしの若い登山家が登頂を実現するためには、[[スポンサー]]の資金協力が必須となる。登山活動以外に、日本全国で講演活動を行い登山活動資金を集めている。また、自ら多くの企業のトップの人たちと面談を行い、協力のための営業活動を行っている。2010年のエベレスト挑戦の際には、複数のスポンサー協力を実現している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
=== 講演活動について ===&lt;br /&gt;
「冒険の共有を」テーマに一年の半分ほど全国で講演活動を行っている。講演スタイルは栗城単独と他者とのコラボによる講演会に分けられる。単独開催では小中学校、高校、各種団体企業から招かれての講演と栗城の熱烈な個人ファンが組織した実行委員会主催などが多い。他者とのコラボでは山崎拓巳、中村文昭、[[てんつくマン]]（軌保博光）、大嶋啓介、等と共演をしている。主催は共演各氏の熱烈な支持者が組織した実行委員会が多く、（株）日本成功学会が母体の3％の会なども主催、後援している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== テレビ番組 ==&lt;br /&gt;
* 「[[タカアンドトシのどぉーだ!]]」　[[北海道文化放送]]、[[2008年]]1月12日とその後複数回ゲスト出演（[[道産子]]登山家として緑色の[[Tシャツ]]を着用した）&lt;br /&gt;
* 「[[ザ・ノンフィクション]]  山のバカヤロー 〜登山家 栗城史多〜」　[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、[[2009年]]2月22日&lt;br /&gt;
* 「エベレストで流しそうめん! 登山家栗城史多さんライブ配信」　（[[ザ☆ネットスター!]]） [[NHK衛星第2テレビジョン]]（BS2）、2009年10月2日&lt;br /&gt;
* 「7サミット 極限への挑戦」&amp;lt;ref&amp;gt;[http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200091001050030124/?n=0&amp;amp;q=7%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88&amp;amp;cg=1&amp;amp;fy=2010&amp;amp;fm=1&amp;amp;o=1&amp;amp;np=20&amp;amp;or=t NHKアーカイブス保存番組詳細「7サミット 極限への挑戦」]&amp;lt;/ref&amp;gt; [[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]、[[2010年]]1月4日&lt;br /&gt;
* 「日本人初！単独無酸素でエベレストへ命知らずの登山家に密着（前編）」（[[バース・デイ]]） [[TBSテレビ]]、2010年1月25日&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa100125.html バース・デイの過去のオンエア（2010年1月25日）] TBSテレビ、2011年1月6日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「登山家 栗城史多 27歳 単独無酸素でのエベレスト登頂への挑戦 第2章」（バース・デイ） TBSテレビ、2010年2月1日&amp;lt;ref&amp;gt;[http://www.tbs.co.jp/birth-day/onair/oa100201.html バース・デイの過去のオンエア（2010年2月1日）] TBSテレビ、2011年1月6日閲覧。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* BSジャパン開局 10周年記念番組「美しい地球の讃歌」　[[BSジャパン]] 2010年5月22日&lt;br /&gt;
* 「[[アナザースカイ]]」　[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、2010年7月9日&lt;br /&gt;
* 「[[嵐にしやがれ]]」　日本テレビ、2010年7月10日&lt;br /&gt;
* BSジャパン「頂の彼方へ・・・栗城史多の挑戦」　BSジャパン 2010年7月17日&lt;br /&gt;
* 「[[人生が変わる1分間の深イイ話]]」　日本テレビ、2010年8月2日&lt;br /&gt;
* 「地球の頂きへ 栗城史多 エベレスト挑戦」　[[テレビ東京]]、2010年10月24日&lt;br /&gt;
* 「[[たけしとひとし#第1回|たけしとひとし]]」　日本テレビ、2010年12月10日&amp;lt;ref&amp;gt;このテレビ番組で、『エベレストに単独無酸素で登頂する様子を世界中に生中継するプロジェクト』の[[プレゼンテーション]]を行ったが、採用には至らなかった。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 「地球の頂きへ 栗城史多 エベレスト挑戦〜完全版」　テレビ東京、[[2011年]]1月3日&lt;br /&gt;
* 「[[金曜日のスマたちへ]]」　[[TBSテレビ]]、[[2011年]]2月25日&lt;br /&gt;
*「遥かなる頂」[[テレビ東京]]、2011年8月14日&amp;lt;!--http://www.tv-tokyo.co.jp/contents/newtitle/108680.html--&amp;gt;。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 著書・音楽 ==&lt;br /&gt;
* 『一歩を越える勇気』　 [[サンマーク出版]]、2009年12月、ISBN 978-4763199799&lt;br /&gt;
* 『[[Re:BIRTH (CLIFF EDGEのアルバム)|Re:BIRTH]]のNO LIMIT 〜勇気をキミに〜』　[[キングレコード]]、2010年9月8日、KICS-1610&amp;lt;ref&amp;gt;[[ヒップホップ]]ユニット[[CLIFF EDGE]]の3rdフル[[アルバム]]の初回限定盤DISC2-DVDに収録された『NO LIMIT 〜勇気をキミに〜』が、ソロアルピニスト“栗城史多”応援ソングとして[[タイアップ]]した。&amp;lt;/ref&amp;gt;&lt;br /&gt;
* 『NO LIMIT ノーリミット 自分を超える方法』&amp;lt;ref&amp;gt;[http://code-is.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/11/19/101119_143801.jpg]刊行記念サイン会場では栗城が7500m以上で感じている重量（地上3倍の重さ≒約60kg）を体感出来るとして約60kgのザックが展示された。&amp;lt;/ref&amp;gt;[[サンクチュアリ出版]]、2010年10月、ISBN 978-4861139482&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 関連項目 ==&lt;br /&gt;
* [[七大陸最高峰]]&lt;br /&gt;
* [[8000メートル峰]]&lt;br /&gt;
* [[CCR]]（COLD CHINA RED）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 脚注 ==&lt;br /&gt;
{{脚注ヘルプ}}&lt;br /&gt;
{{Reflist}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 外部リンク ==&lt;br /&gt;
* [http://kurikiyama.jp/ 栗城史多オフィシャルサイト]&lt;br /&gt;
* [http://ameblo.jp/kurikiyama 栗城史多オフィシャルブログ] - [[アメーバブログ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{People-stub}}&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{DEFAULTSORT:くりき のふかす}}&lt;br /&gt;
[[Category:北海道出身の人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:日本の登山家]]&lt;br /&gt;
[[category:吉本興業]]&lt;br /&gt;
[[Category:存命人物]]&lt;br /&gt;
[[Category:1982年生]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[zh:栗城史多]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
{{Wikipedia/Ja}}&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Rainbow7</name></author>	</entry>

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