福田衣里子

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日本の旗 日本の政治家
福田 衣里子
ふくだ えりこ
福田 衣里子
長崎市公会堂での演説
生年月日 1980年10月30日44歳)
出生地 長崎県長崎市
没年月日
死没地
出身校 長崎県立長崎西高等学校卒業
広島修道大学中退
前職 薬害肝炎九州訴訟原告団代表
現職
所属政党 民主党
所属委員会 厚生労働委員会
消費者問題に関する特別委員会(理事)
議員会館 衆・第一議員会館208号室
選挙区 長崎県第2区
当選回数 1回
元首
称号・勲章
世襲の有無
親族
配偶者
サイン [[画像:|128px|サイン]]
公式サイト 福田えりこオフィシャルサイト
日本の旗 日本 衆議院議員
内閣
就任期間 2009年
 - 現職
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内閣
就任期間
 - 
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内閣
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内閣
就任期間
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内閣
就任期間
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その他の職歴
テンプレート

福田 衣里子(ふくだ えりこ、1980年10月30日 - )は、日本政治家民主党所属の衆議院議員(1期)。薬害肝炎九州訴訟原告団代表、厚生労働省「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」委員を務めた。

来歴

1980年(和暦??年)10月30日長崎県長崎市に生まれる。幼少時代は父の仕事の関係でロンドンに在住。

1999年(和暦??年)、長崎県立長崎西高等学校卒業後、広島修道大学人文学部人間関係学科 心理学専攻入学。「学ぶ意義が分からなくなった」と大学を休学し[1]、3ヶ月あまり単身でフランス旅行した[1][2]。この旅行でパンに感動し、パン屋を開業の夢を抱き、帰国後は大学のある広島ではなく長崎のパン屋で「修行」をはじめた[2]

2001年(和暦??年)4月、出生時の血液製剤クリスマシン投与によるC型肝炎ウイルスへの感染が判明。翌2002年(和暦??年)に大学を中退し、インターフェロン治療を開始した[2]

2004年(和暦??年)4月に実名を公表し、薬害肝炎九州訴訟の原告となる。これ以後、講演活動の他、各種メディアに積極的に登場するなどし、精力的な活動を続けている。また、原告の一人として薬害肝炎救済特別措置法の成立にも大きく貢献した。

この間、二度目のインターフェロン治療を行い、ウィルス反応は陰性となり、経過観察の結果、肝炎は完治した。現在は飲酒が可能な状態。

2008年(和暦??年)9月18日民主党代表小沢一郎(当時)より第45回衆院選への出馬要請を受け、これを受諾。長崎2区に同党公認候補として出馬する事が決定し、長崎市内で記者会見を開く。

2009年(和暦??年)8月30日、第45回衆院選に長崎2区より出馬。薬害肝炎被害者としての自らの経験から、「『命』を奪うのも政治なら『命』を救うのも政治」と主張。自民党公認の久間章生防衛大臣から議席を奪い、初当選(一部報道では「エリのクマ退治」とも言われた[3])。同年8月30日に行われた衆議院選挙の結果を受けて9月16日に成立した鳩山内閣の下で、10月26日に召集された臨時国会において、肝炎対策基本法(C型に限らず、全ての肝炎患者が救済の対象)が成立した。


主な政治的主張

現在のところ特になし

人物評

解同と福田衣里子
解同と福田衣里子
  • 母の影響で始めた刺繍は展覧会を開くほどの腕前で、展示するだけのつもりで飾った作品が、来場者から懇願され完売してしまったというエピソードがある。一方、高校では空手部に所属するなど、学生時代はスポーツにも明け暮れていた。
  • 福田のC型肝炎感染判明当時(2001年)、国会では肝炎問題の追及が行われており、厚生労働省は血液製剤を血友病以外の患者に投与した可能性のある医療機関名を公表したばかりであった。このリストの中に福田が出生時に血液製剤を投与された病院があったため、両親にすすめられて検査を受けたところ、C型肝炎ウイルスへの感染が判明した(C型肝炎の媒介となった血液製剤が使用されていた(福田が薬害肝炎に感染した)時点では『C型肝炎ウイルス』の存在は確認されていなかった)。
  • 薬害肝炎の原告団で自身も肝炎を患っており、当初の裁判では原告団のごく一部しか訴訟が認められなかったが、ニュース番組出演と世論の変化を期に全員に対して認められた[4][5][6]
  • 薬害肝炎の問題に携わっていく中で2006年ごろ、「悪しき政治によって命が奪われることはあるが、政治が正しく機能すれば多くの命が救える。それこそが政治の本来の使命だ」と気がつき、政治に関心を持ち始めた。衆院選出馬は山田正彦衆院議員から打診があったことがきっかけ[7]
  • 薬害肝炎訴訟の原告に対する救済法案は2009年に民主党の審議拒否で廃案になったが、福田はこれを容認する発言を自身のブログにて行った。薬害肝炎の原告団はこの審議拒否について抗議声明を発表している。
  • 政治評論家の三宅久之はテレビ番組で福田が衆院選に出馬することに対し、「私は彼女と何度か会って話をしたことがあるが、本当に芯が強く信念があって彼女なら活躍するでしょう。民主党はいい候補者を見つけた。」と称賛した[8]
  • 身長は150センチ[9]と、日本人女性成人平均身長よりは小さく小柄であるため選挙運動の際は白い台で立って演説をした。

著書

  • 『It's now or never - 私は早く、C型肝炎とさよならしたい!』(書肆侃侃房、2006年2月)
  • 『日本の薬はどこかおかしい!』鳥越俊太郎、中井まり共著(青志社、2008年7月)
  • 『新版 It's now or never - 薬害C型肝炎と向き合って』(書肆侃侃房、2008年11月)
  • 『がんばらんと! - 薬害に遭って、見えてきたこと』(朝日出版社、2009年2月)

脚注

関連項目

外部リンク