第3次吉田内閣
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				第3次吉田内閣(だい3じ よしだ ないかく)は、1949年(昭和24年)2月16日に成立し、3度の内閣改造を経て、1952年(昭和27年)10月30日に終了した日本の内閣である。
- 第3次吉田内閣:1949年(昭和24年)2月16日 - 1950年(昭和25年)6月28日
 - 第3次吉田内閣第1次改造内閣:1950年(昭和25年)6月28日 - 1951年(昭和26年)7月4日
 - 第3次吉田内閣第2次改造内閣:1951年(昭和26年)7月4日 - 同年12月26日
 - 第3次吉田内閣第3次改造内閣:1951年(昭和26年)12月26日 - 1952年(昭和27年)10月30日
 
閣僚
- 内閣総理大臣 - 吉田茂
 - 法務総裁 - 殖田俊吉
 - 外務大臣 - 吉田茂(兼務)
 - 大蔵大臣 - 池田勇人
 - 文部大臣 - 高瀬荘太郎/天野貞祐(1950年5月6日 - )
 - 厚生大臣 - 林譲治(副総理兼務)
 - 農林大臣 - 森幸太郎
 - 商工大臣(1949年5月25日廃止) - 稲垣平太郎
 - 通商産業大臣(1949年5月25日新設) - 稲垣平太郎/ 池田勇人(兼務、1950年2月17日- )/ 高瀬荘太郎(兼務、1950年4月11日- )/ 高瀬荘太郎(1950年5月6日- )
 - 運輸大臣 - 大屋晋三
 - 逓信大臣(1949年6月1日廃止) - 小沢佐重喜
 - 郵政大臣(1949年6月1日設置) - 小沢佐重喜
 - 電気通信大臣(1949年6月1日設置) - 小沢佐重喜(兼務)
 - 労働大臣 - 鈴木正文
 - 建設大臣 - 益谷秀次
 - 経済安定本部総務長官 - 青木孝義
 - 中央経済調査庁長官 - 青木孝義(1949年6月1日中央経済調査庁長官は、経済安定本部総務長官たる国務大臣をもって充られることとなると決定)
 - 物価庁長官 - 青木孝義(1949年6月1日物価庁長官は、経済安定本部総務長官たる国務大臣をもって充られることとなると決定)
 - 行政管理庁長官 - 本多市郎
 - 賠償庁長官 - 樋貝詮三/山口喜久一郎(1949年3月11日- )
 - 地方財政委員会委員長(1949年6月1日廃止) - 木村小左衛門
 - 地方自治庁長官(1949年6月1日設置) - 木村小左衛門
 - 北海道開発庁長官(1950年6月1日設置) - 増田甲子七
 - 国務大臣 - 山口喜久一郎/樋貝詮三(1949年3月11日- )
 - 国務大臣 - 増田甲子七(1949年6月24日 - 1950年5月6日)